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- 水島村(近世)とは
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水島村(近世) 江戸期~明治10年の村名因幡【いなば】国智頭【ちず】郡のうち千代【せんだい】川支流土師【はじ】川上流域,宇塚川と奥本川が土師川に注ぐ段丘状の斜面に位置する鳥取藩領村高は,拝領高69石余,「元禄郷村帳」69石余,「天保郷帳」82石余(うち新田高12石余),「元治郷村帳」85石余,「旧高旧領」89石余元禄の本免は6.4,「元治郷村帳」の物成は44石余戸数は,「因幡志」12,「文久3年組合帳」6隣村の香音寺【こうおんじ】村へ3町,宮本村へ4町25間(因幡志)寛延元年ほかの土師谷村々の庄屋と寄り合い,拝借した牛銀の20か年賦返済を嘆願したまた,安永8年には,土師谷村々困窮のため人数も少なくなり,藩は7歳までの子供の養育費として年に米1俵ずつ10か年支給するとした(県史9)天明・寛政期の古田家文書によると,田畑畝数17町5反5畝,土代2石・1石3斗,高263石4斗6升7合(うち畑高13石1斗9升7合),請免6割7分,家数28・人数128,牛15,運上銀8匁5分,当村前に長4間半・横1間の土橋がある(智頭叢書)氏神は宮本村にある那岐大明神地内には薬師・地蔵・観音を本尊とする辻堂がある(因幡志)比丘尼屋敷に薬師堂があり念仏鐘を掘り出したことがあるという(八頭郡誌)明治4年鳥取県,同9年島根県に所属同10年宮本村・口早野村・五月田村と合併して大背村となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
水島村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
水島村(近世) 江戸期~明治9年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
水島村(近世) 江戸期~明治8年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」